開局70周年を迎える文化放送は聖パウロ修道会が関係している

とまにちわ!

2022年3月31日、東京のラジオ局の文化放送が開局70周年を迎えます。
おめでとうございます!!

開局70周年ウィーク

文化放送で調べると、聖パウロ修道会の名前がガッツリ出てくるので、驚く人もいるようです。
たしかに、カトリックの宗教法人が筆頭株主って謎でしかないですよね。

そういうことで、聖パウロ修道会の記念誌に記載されていた「文化放送略史」を紹介してみます。
ウィキペディアの情報とは一味違う歴史になっているかもしれません。

開局当時のポスター

『終戦直後、聖パウロ修道会のパウロ・マルチェリーノ神父は、GHQが「民間放送局を認可する方向にある」という情報を聞き、1948(昭和23)年9月、カトリック放送局設立のための基礎調査を開始。12月には逓信省電波局に「セントボール放送協会」を申請しました。

マルチェリーノ神父(1950年)

1949(昭和24)年、放送局の建物の定礎式が、フランシスコ・ザビエル渡米400年祭で来日中のマクドネル・ニューヨーク副司教の司式によって行われ、翌1950(昭和25)年には、「社団法人セントポール放送協会」創立事務所が設置され、創立概要を発表。

定礎式

このころから動きがにわかに活発になり、1951(昭和26)年1月には電波監理委員会に「無線局免許申請書」を提出し、2月には「財団法人日本文化放送協会」と改称、4月には予備免許が授与されました。対外的なこれらの動きと共に、対内的には、聖パウロ修道会、聖パウロ女子修道会の会員がララ物資(日本向けの援助物資)の整理作業にあたり、経済的に援助する一方、聖パウロ女子修道会はマルチェリーノ神父の要請にこたえ、放送局て働く会員を養成し、1951年10月から次々と人を派遣することで協力していきました。

文化放送 川口送信所(1952年)

1952(昭和27)年3月、試験電波を出し、すぐに本免許が交付されました。同年3月30日午後5時30分から、東京・日比谷公会堂て開局前夜祭が行われ、パウロ家族全員が参加しました。翌日3月31日午前5時30分から本放送が開始され、長年の自分たちの放送局”という希望が実現したのです。

1952年

しかし、理事間の見解の相違や経済問題の混乱などにより、財団法人としての存続が困難となったため、1956(昭和31)年2月14日、「株式会社文化放送」に改組したことをきっかけに、聖パウロ修道会は株主の一員としてのみにとどまることになりました。残務整理を終え、聖パウロ女子修道会員も同年8月20日、全員退社しました。』

1984年

そういうことで、聖パウロ修道会が放送事業を手がけた時代があったのです(嘘みたい)。
ちなみに、ここ数年、株主の一員としての存在感をアピール(?)していたような番組が放送されていました!

(左)東大寺・狹川別当(中央)文化放送・上口社長(右)聖パウロ修道会・鈴木神父

『文化放送スペシャル 華厳宗大本山東大寺 カトリック聖パウロ修道会 特別対談 仏の慈悲 キリストの愛 ~祈りが開く未来~』(2020年放送)
『独占特番 ローマ教皇 希望のメッセージ ~1125東京ドームミサを振り返る~』(2019年放送)
・『文化放送サタデープレミアム Happy X’mas~本当のクリスマス』(2018年放送)

特番収録の様子。左から千倉真理さん、鈴木神父、レンゾ神父

ちなみに、どの番組にも当時の日本管区長の鈴木神父が出演していました。
2019年に教皇さまの来日があったので、タイミング的にこういう番組が放送されたのかもしれません。

個人的には、年一回でいいから、こういうのやってくれると面白いのに!
どうぞご検討ください。よろしくお願いします。

●文化放送開局70周年記念サイト
https://www.joqr.co.jp/70th/

TomaP

TomaP修道士

カトリック聖パウロ修道会の修道士です。ゆるいのが好きです。よろしくお願いします。

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