とまにちわ!
6月30日は、パウロ家族では特別に祝う、使徒聖パウロの祝日。
この日、サンパウロは休日になり、東京の会員たちは若葉修道院に集まって、祈りの時を一緒に過ごしたり、会食をする予定になっています。
毎年の恒例行事となっているので、特に驚くこともないと思うのですが、何かすごいことが起こったら、お伝えしたいと思います!
さて、そんなことで、今は使徒聖パウロのノベナ(9日間の祈り)の真っ最中。
今年は、聖パウロの書簡を共同で朗読して、聖歌をささげ、創立者アルベリオーネ神父の著書『パウロの月』を各自で朗読するスタイルとなっています。
ノベナは、17世紀にはじまった信心業で、特別な願いを神に聞き入れていただくための、9日間の祈り。
使徒たちと聖母が高間において聖霊を求めて、主の昇天から五旬祭(聖霊降臨)まで祈ったという「使徒言行録」(1.13~14、2.1~4参照)の記述を模範としているそうです。
9という数字そのものには、特別な意味はなく、ノベナは忍耐強く祈り求める具体的な一つの実践方法なのです。
配られたノベナには、一日ごとに、その日のテーマや祈りや聖書箇所の指示は書いてあるものの、神さまに聞き入れていただくための「特別な願い」には特に触れられていません。
たぶん、一人一人、「特別な願い」は違っているから、その辺は好きなことを願っていい! というような自由度が高めの構成になっているのかも!(違うかも)
ちなみに、今日6月24日(土)のテーマはパウロの謙遜。第1朗読はコリントの信徒への手紙15章1〜11節。そして第1朗読で触れられるのは『パウロの月』第9日で、そこにはこんなことが書かれてあります。
「謙遜はすみれの花のようです。すみれの花は目立たない一方、かぐわしい香りを放ち、すべての人から好まれ、愛されます。事実、謙遜な人は、自分は貧しいものであると考え、目立たないことを好み、取るに足りないものであると思われることを好みます。謙遜な人はまた、主の優しい、そして愛のあふれたまなざしを引き寄せ、主のあわれみと多くの特別な恵みを得、神ご自身によって高められます。『あなたたちは幼子のようにならなければ、天の国に入れないであろう。』」
謙遜とは違うけど、普段、目立ってなにかやるタイプではないのに、やってる使徒職がネット宣教だったりするので、思っていることと現実とが乖離してる…というのが、正直なところ。
謙遜に生きるって難しい!
これって人生によくあるパターンかもしれない(落とし穴)。
そんな現実的なことにも目を向けさせてくれる、今年の使徒聖パウロのノベナ。
そんなスパイスのようなエッセンスも感じながら過ごしたいと思います。
それでは今日も明日も明後日も、よい一日でありますように!
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